トキメキ備忘録

人生だね

Pay day!

肌が荒れると分かっていても夜更かしをして絵を描き、文字を書く。ここでいつもなら自己嫌悪に3ミリくらい陥るところだが、今(11月7日深夜1時27分)外は雨で、部屋は暗くて、道路がテカテカしてて、何しろ長らく抱えていた課題を提出したので心の収支はちょいプラスになる。向かいのマンションの明かりが見えている。向こう岸でも真夜中を謳歌している人がいるのだと思うとすぐ寝るのが惜しいとすら思えてくる。ずっと一緒にいようね!明日一番起きるのが遅くなっても。

 

こんなふうに私はいちいち空想しがちだ。人生の中でかなり空想に時間を使っていると思う。このせいで心配性だし緊張しいでもある。だけど対応力に繋がる時もあるから、おかげと言っておくべきかな。おかげさまで、私は最近大変困っている。

今日の話題

ここ最近、私の頭の中にある人が居座り続けている。その人とこういうこと話すならこう答えようかな、あの人はなんて言うかな、なんてことを繰り返している。やばい。端的に言ってやばい。なんか、あの、あれみたいじゃない?いやそんなわけないんだけど。絶対そんなわけではない。でもこんなのまるで…その人が、好き、みたいだ。…私ってあの人のこと好きなのかなあ……恋、しちゃってんのかなあ………

ありえない句点の量が見れて満足ですか?じゃあ本題行きます。読者に照れてる姿を見せたいんじゃない。決まってるだろ。一つずつ己を分かっていくのを見せたいんだよ。

最近かなりの頻度で、何かにつけて考えている特定の人がいる。こんな極度に個人的なことをわざわざ教えるのもどうかと思うけど書き留めずにいられない。「意識してる」ってやつだね。その人は友達が多くて、私と仲良くしてもいいと思っている。私はそのことを知った瞬間からずっと嬉しいのだ。その人とだいぶ友だちになりたいんだ。それでずっと私とあの人について考えている。実際にはその人としょっちゅうは会わないし何にもないのに、こちらの空想だけが肥大化しているのは不健康だと思ったから今書いてるわけだけど、不明瞭な感情が多くて今の時点では半ばヤケクソです。肌がもう荒れてきた。

シンキングタイム

「意識してる」って抽象的で便利な言葉だ。競争相手を指したり、気になってる人を指したり、憧れてる人を指したり。私がその人を意識してることにまあ間違いはないけど、それだって自分で言ってギリギリ許せるくらいの表現。このことを誰かに相談して結論に「意識してるんだね」って言われるのはイヤ。だって性別ふせたって(この前置きも腹立たしい)私の語り口も相まって相手に恋愛フィルターがかかってしまうこと必至だから。このヘテロセクシュアルたちによる恋愛至上主義の世の中でピーチクパーチク言ってるのも良いかもしれないけど、バカ、おまえら、思春期長すぎるだろうが。てかさー最近友だちがする、彼氏だの彼氏だの彼氏だのの話に触れすぎて気持ちがアレになってんだけど。飽きてる。興味ない。自分のじゃない恋愛なんて、推しカプの幸せにしか興味ない。そっちがその気なら私だって言いたいんだけど。ソルジワンについて延々と話すけど。え~てかソルジワンてキスシーンないよね。公園のシーンキスしてもよかったよね?私ソルがどタイプなんだけど似てる人いない?紹介してくれない?無理?

恋愛の「意識している」

最近の若いモンはすぐ何かにあてはめようとしてうんざりなんだよ。MBTIだの、パーソナルカラーだの、骨格診断だの。しゃらくさいったらありゃしない。内なるジジイ(ジジイはそんなに詳しくないだろという指摘はさておき)がぼやき始め、筆ものってまいりました。頭から離れない人がいるって言ったら恋愛感情から育った「意識している」という状態に解釈されるだろう。これは私が経験したこれまでの会話から導き出される、相手はそう言うだろうなという予想だ。「意識している」という言葉に恋愛の意味があてはめられがちということにあまり文脈は関係ないように思える。全部恋愛。そもそもその人について繰り返し考えること自体に恋愛の意味があてはめられることが多い。私はそうじゃないって言いたいのに、照れていると思われる。こういう話題って本当に難しい。こっちは分かってほしくてたくさん説明するけど、その時間は全部言い訳してることになるのだ。しかし相手が体験したことのない感情をわざわざ分かろうとしないのも頷ける。だって自分の分かる範疇でリアクションしたいから。私は考えすぎなのだから。恋愛としてみたほうが自然でしょう。他人にそんな感情(?)を向けるなんて恋愛感情に決まっているでしょう。と、訳知り顔で「フーン」と言われることしかできないまま、このひと一ミリも理解してないなと思い知らされることになる。閑話休題、友だちに相談した私の状態はいわば「恋愛対象として意識する一歩手前」だとみなされるのだ。ややこしい!「(他人として)意識する」【恋愛的には無意識】が「好きなのかも」【恋愛的意味の自覚】を通って「恋愛対象として意識する」【能動的に恋愛を組み込む】に変貌するというプロセスが確かに人々の頭に存在する。それはフィクションの影響がかなり大きいんじゃないかと思ってるけど、みんなの経験に基づくものなのかもしれない。どうなんだろ。

私はどうなのかということが今回話したいことだ。こんな話題友だちにうっかり喋って今書いてきたように受け取られたら不本意だし面倒くさいから迂闊に誰かに相談もできない。それがこれを書いている理由でもある。そしてもう一つ。

私の場合

これ私のブログなんだから私の場合なんてすべてに当てはまることなんだけど、さすがにイレギュラーな感情かなと思ったからそう前置きしておく。大発見は書き記しておかないと後世のためにならないからね!

私は脳内に繰り返し登場させるその人に、私と同じであってほしいのである。つまり恋愛はみんながやるものだと思わず、そういう社会の風潮とか、誰がカッコいいとか可愛いとかいう話題を嫌っていて、私のように考えすぎでいてほしいのだ。ツーカーでなくてもいから、持っている感情のアンテナが似ていてほしいのである。たとえその人と分かり合えなくても、説明をちゃんと聞いて理解しようとしてほしい。理解しようとしてくれる人がいるんだと嬉しくなりたい。それがあの人であったなら、私はこう答えよう、こんな会話しよう。と、こういうわけである。

この感情を発見したとき私は雷に打たれたような衝撃を受けた。これに気づいた自分に驚きである。これは何に近い感情なのだろうか。

シンキングタイム2

私の疑問は恋愛感情と願望についてということになる。まず私は恋に落ちているとする。この仮定にあまり意味がないのだが可能性はゼロではない。「(他人として)意識する」の次のステージである「好きかもしれない」を経て「恋愛対象として意識する」にいる私はその人の恋人になりたいのだろうか。それにしては空想内の私の態度は漠然としているしロマンチックな感じもない。この問題に関しては相手からの好意を受けて、本当にうれしくて舞い上がって「もし私があの人と親友だったなら」と空想にふけっていると考えるのが一番近そうである。一応これが回答ということにしておく。つまり私の考えうる最大限の好き(っていうのは友情も恋愛感情も込みで。詳しくは「人生の赤点回避」という記事を参照)を相手に対して抱いた場合のシミュレーションをしているということになる。たぶんね。

そして問題は何よりも私の持つ願望だ。私と同じようであってほしいとはいかがなものか。流石に妄想が過ぎるし、こんなので実際にその人と会ったらむしろ落胆してしまわないか?独りよがりの誇大妄想はあぶない。この点については思うところがあって、私の理想像(具体的な人間を指しているわけではない)が別に存在し、それをたまたま今好き(気に入っている?)な人に投影しているんじゃないか。これが今のところ一番納得できそうな説明だが、ちょっと説得力に欠けるかもしれない。特定の個人に対する好きという感情が先に来ているのか、抽象的な「こういう人が好き」という理想像が絶えず姿かたちを変えるその途中で、身近な人間の形をとったのかよく分からないけど大方この2択だろう。これ以上は知恵熱が出そう。今度一緒に考えてください。

おわり

なかなか上手く文にまとめられなかったので何回もボツにしかけたけど、勢いで書ききってやった。書くことは自分に対する思考の証明みたいだからありがたい。文字を発明してくれた人に感謝である。あと定期的に書くという行為が、落ち着かない心の状態を理解する手助けになっていると思う。定期的にありがたくなってるなんて給料日かよ。